全体を通しての感想
画像引用元:Netflix『もう終わりにしよう。』
SNSや海外で話題になっているNetflixオリジナル制作映画『もう終わりにしよう。』。
「どんな映画だろう~」とワクワクしながら見たのですが……。
大混乱でした……。初見殺しとはまさにこのこと……。
いろいろな人の考察や感想を2~3件読んで
かつ、このコラムを書く中で、やっと理解しました。
また、陰鬱な雰囲気と居心地の悪さがジワジワ恐怖を誘ってきて私はホラー映画くらい怖かったです。
いつ後ろから何が来るか分からない恐怖や、これから何が起こるか予想のつかない恐怖に、終始包まれていました。
(映画内には、ルーシーを背から映すカメラワークが多く、これが余計に恐怖を助長させているのかも…。)
しかし、話を読み解くうちにこの映画に対する印象は180度変わりました。
胸が締め付けられるような切なさに襲われ、救いようのない人生を書いた映画でした。
あらすじ(ネタバレ注意!)
物語の始まりは、とある大学生のカップルが、彼氏であるジェイクの実家に訪れる為に車に乗り込むシーンから始まります。
彼女であるルーシーは、ジェイクとだらだらと関係を続けていており、ジェイクの実家に向かう車内では「いつか、もうこの関係を終わりにしよう。」と常に考えていました。
そんな中、ジェイクの家に到着。しかし、この家何かがおかしい……。
ルーシーはそんな奇妙な家の、ぐちゃぐちゃになった時間軸に巻き込まれていき……。
物語の核心とは
画像引用元:Netflix『もう終わりにしよう。』
基本的に、彼女であるルーシー目線で話が進みますが、実はこの物語の主人公はルーシーではなく、彼氏であるジェイク。
所々で高校の清掃員である老人が出てくるのですが、この老人が現在のジェイクで、ジェイクの妄想の物語となっています。
なので、彼女であるルーシーも存在しません。すべてが妄想の物語なんです。
(しかし、この清掃員がジェイクだという確信は物語の中に描かれていません。なので、ジェイク自身も妄想で、清掃員がジェイクに自身を投影させているだけなのかもしれないのです。)
妄想である理由
① ルーシーの人物像
画像引用元:indiewire
話の中でルーシーという人物像がどんどんと揺らいでいきます。
・名前がコロコロと変わる……
・大学で専攻している科目がコロコロ変わる……
・2人の出会いもコロコロ変わる……
・ルーシーが書いたはずの絵には、ジェイクのサインが書いてある……
などなど、ルーシーという人物は一体何者なのか、物語が進むにつれて、どんどんとわからなくなっていきます。
② 実家での時間軸
画像引用元:indiewire
実家での時間軸もバラバラです。
決定的におかしくなるのは、チョコレートケーキを食べた後。
先ほどまで元気に話をしていたジェイクの父は急に認知症になったり、
病気がちのはずの母は若返り、ジェイクが遊んでいたとされるおもちゃを片付けはじめます。
すると急に、母はベッドの上で亡くなり、
父は若返ります。
もう何もかもがぐちゃぐちゃ。
変わらないのは、外の大雪とジェイクとルーシーの時間軸のみです。
これは、ジェイクの妄想のため時間軸もバラバラになってしまっていると予想されます。
また、ジェイクは様々な時間軸で、彼女を両親に紹介する妄想をしていたのかもしれません。
合間に出てくる清掃員について
自己肯定感が低く、寂しい人間
物語の合間合間で出てくる、清掃員の老人。
高校で清掃員として働いているようですが、生徒にからかわれているシーンや、たった1人で仕事をしているシーンなどから、
周囲に仲の良い友人もおらず一人ぼっちで、自己肯定もできなくなっていることが予想されます。
彼の自己肯定感の低さは要所要所に表れています。
例えば、妄想の中で作り上げたルーシーとジェイクの関係性。
妄想なのであれば、もっと仲の良い2人を描けばいいのに、
「終わりが見えている。」「うだうだ関係を続けている。」2人を妄想します。
自分には、幸せな未来は到底期待できないと、感じているのでしょう。
妄想の中でも、不幸せな未来を作り出しているのです。
画像引用元:indiewire
他にも、アイスクリーム屋のウエイトレスとの共通項。
アイスクリーム屋には3人のウエイトレスがいますが、そのうち2名はとても華やかで明るい性格。
しかしもう1人のウエイトレスは、そんな2人の裏で目立たないようにおびえている様子です。
彼女の手には痣があり、不思議とジェイクの腕にも痣があります。
(ここで彼女とジェイクが似たもの同士だと表現?)
ここから、ジェイクはこのウエイトレスと同じで、現状に満足していないということがうかがえます。
このウエイトレスを避けていたのも、自分を直視したくないという思いがあったからなのでしょうか。
清掃員の死
画像引用元:Netflix「もう終わりにしよう。」
最終的に、清掃員は仕事終わりの車内で自殺してしまいます。
しかし、清掃員が亡くなっていることを表現する直接的なシーンがありません。
ではどうして、亡くなったと断言できるのか。
これは、ラストシーンで雪が車に降り積もり覆われてしまっているシーンや、全裸になるシーンから予測されます。
清掃員は全裸となり、幻想の中でウジが沸いたブタについていきますが、
ここで清掃員が全裸になってるのは、彼が「凍死」したからだと考えられます。
凍死する際、人間は体内の体温調節機能が異常をきたし、逆に猛烈な暑さに感じることがあり、度々、全裸の凍死遺体が発見されています。
そのため、彼はも裸になっていたのでしょう。
この全裸になる点からも、清掃員は亡くなったと考えられます。
味気ない日常を毎日繰り返し、自己肯定もできなくなってしまった彼は自分の命に「もう終わりにしよう。」と覚悟を決め、自殺をしたのです。
『もう終わりにしよう。』についてのまとめ
この映画の監督は、チャーリーカウフマンという監督で、奇想天外なストーリーを描くことで有名な人です。
この『もう終わりにしよう。』も予想が全くつかないストーリーで我々を混乱させました。
また、映画の中には様々な作品の引用や繋がりが示唆されています。
(私はこれらに詳しくなかったので省略……。)
映画の中に登場する作品と併せてみると更にわかりやすく、面白さも倍増するかと思います。
代わり映えのない毎日を送り、自分を認められず、一人ぼっちになった清掃員の
最後の不幸せな妄想。
せめて、もっと幸せな妄想ができればこの清掃員は死なずに生きられたのかもしれません。
それもできないほどに人生に疲弊してしまったのでしょうか。
「もう終わりにしよう。」
そう決めて最後の妄想を終わらせ、彼の人生も終わりました。
『もう終わりにしよう。』いかがでしょうか?
画像引用元:Netflix「もう終わりにしよう。」
SNSや海外で話題になっているNetflixオリジナル制作映画「もう終わりにしよう。」
始めた見た時は、 なんじゃこりゃ!? 意味わからなすぎて、怖い! と混乱した映画でしたが、このコラムを書いているうちにどんどんと、胸が締め付けられるようなしんどさに襲われました……。
救いようのない現実と、じっくり考察すればするほどにジワジワと来る胸糞の悪さ。
そんな映画が好きな人は、ぜひ一度ご覧になってはいかがでしょうか?
では、次回をお楽しみに!
こんにちは。Fiache.編集部のminです。
minの映画だべり第4回はNetflixオリジナル制作映画『もう終わりにしよう。』についてです。
映画初心者が、好き勝手お話していくので、ゆる~くご覧ください! 映画のあらすじ等にも触れていくので、ネタバレ注意です。