Fiache. Short Story
― なんでもない日の物語 ―

世界一鈍感な男

「チョコレートがほしい!!!!」

 机の上に突っ伏して叫んだ俺を実に冷めた目で見やった隣の席の友人は、何も言わずにスマホに視線を戻した。俺が話しているというのにずっと弄っているスマホの先には、それはそれはカワイイ彼女がいるのだろう。くそ、羨ましい。

 華々しいクリスマスが過ぎ、のんびりとした正月を越え、2月を迎えた。2月といえば、そう。バレンタインである。
 悲しいことに、俺は生まれてこのかた17年間、チョコレートは母親からしかもらったことがない。義理チョコすらもない。クラスの女の子たちは皆、彼女たち同士でチョコレートを交換することに夢中で、男子たちの熱い想いにまったく気づいていないのだ。
 義理チョコでいいから欲しい。一度でいいから、バレンタインにチョコレートが欲しい!

「そしてあわよくば彼女がほしい……」

 しおしおと効果音が聞こえそうなくらいにしょぼくれた俺を励ましてくれるやつはいない。友人はどうやら電話がかかってきたようで、俺を置いて廊下に出ていった。楽しそうな笑い声が聞こえる。なんて薄情なやつなんだ。俺は机の上の消しカスをかき集めて友人の机の上でそっと山を作った。

「そんなことしてるから彼女できないんでしょ」
「いてっ」

 声をかけてきた少女は、友人の席にどかっと座り俺の頭をぺいっとやった。家が近所で小学生のころからの腐れ縁、いわゆる幼馴染というやつだ。

「お前だって彼氏いないじゃん」
「うるさい」

 またぺいっとやられる。そういうところだぞと言ったら今度は無言でぺいっとやられた。無限ループって怖い。そいつは唇をむすっと尖らせながら頬杖をついた。俺は背もたれに寄りかかり、椅子の前足をゆらゆら浮かせながら腕を頭の後ろで組む。

「だってせっかくのバレンタインだぜ? 欲しいだろ、チョコ」
「そんなに甘いもの好きなの?」
「いや、むしろ苦手……ってそういうことじゃねー! 女子にはわかんねえよ、この気持ち……」
「ふーん。ま、どうでもいいけど。そういえば先生が宿題早く出せってキレてたよ」
「それ早く言えよ!!」

 ノートをひっつかんで慌てて教室を出る。ひらひら手を振るそいつは、俺が出ていったあとなにやら考え込んでいたようだが、気にしている暇はなかった。

+++

 迎えたバレンタイン当日。学校中にどこか甘ったるい空気が流れている。そわそわと落ち着かない様子で校門を潜ったが、特に真新しいことはない。そのまま昇降口に向かい、靴を履き替えていると、背後から声をかけられてびくんと大げさに肩が震えた。

「おはよう」
「お、おはよ……ってなんだ、お前かよ」
「失礼な」

 ドキドキしながら振り返ると、そこにいたのはいつもの幼馴染で。溜息を吐けばそいつはむっと唇を尖らせる。そういえばもう何年も一緒にいるのに、こいつからバレンタインのチョコを貰ったことがない。薄情なやつだ。俺の周りには薄情なやつしかいないのか。

「そんなあからさまにそわそわしていると、貰えるものも貰えないでしょ」

 ふん、と鼻を鳴らして去っていく後ろ姿を眺める。あいつは今日、誰かにチョコを渡すのだろうか。義理チョコじゃない、本命チョコ。俺には関係のないことだけど、なぜだか少し、胸のあたりがもやもやした。

+++

「誰もくれねーじゃん……」
「そんなもんだって。落ち込むなよ、兄弟」
「うるせー! お前さっき部活の子に貰ってたろ! 気安く触るんじゃねー!」
「いやあれは皆に配ってる義理だから……」
「俺は義理すらもらえてないんですけど?!」

 そう叫ぶと憐れむような視線を投げかけられ、ぽんと肩をたたかれる。
 そう、そうなのだ。結局授業が終わり放課後になった今でも一つもチョコを貰っていない! こんなひどいことがあっていいのだろうか。部活に入っていない俺はクラスメイトに期待するしかなかったのだが、前述のとおりクラスメイトの女の子たちは皆女の子たちの間でチョコレート交換をして楽しんでいる。もちろん、そこに俺のような男子が介入する隙はない。

「まあ今時さ。バレンタインが『女子からチョコレートを貰えるイベント』だと認識している時点でお前は貰えないんだよ」
「意味わかんねー!」

 バシン、と友人(冒頭の彼女持ちではない)に肩パンをくらわすと、そいつはせせら笑いながらさっさと部活へ行ってしまった。
 一人残された俺は、このままここにいると虚しくなるだけだと早々に撤退することにする。だってもう皆部活行ったし、今教室にいるのは俺だけなのだ。はあ。なんて悲しいバレンタインなのだろう。バレンタインなんてくそくらえだ。
 ぶつぶつ文句を言いながら昇降口に向かうと、ちょうど幼馴染のあいつが戻ってきてぶつかりそうになった。

「わ、ごめん」

 それだけ言ってそそくさと廊下の向こうに消えていく。なんなんだ、まったく。少しイライラしながら下駄箱の扉を開けると、見慣れない包みが目に入った。
 ぱたん、と扉を閉じる。大きく深呼吸をして、もう一度扉を開けた。
 高級そうなブラウンの包みに、ゴールドのリボン。板チョコくらいのサイズ感で、裏返すと小さなメモのようなものが挟まっている。
 ……これは、もしかしなくても。
 サッと鞄の奥に押し込み、あたりを見回す。幸いにも誰にも見られていないみたいだ。俺はそのまま急いで家に帰った。

+++

 ばたばたと慌ただしく部屋に戻る。鞄から先ほどの包みを取り出し、そっと優しく置く。

「ありがとうございます……!!」

 目の前で正座をして、深々と頭を下げた。人生初の、バレンタインのチョコレートである。しかもなんか高そう。感動で涙が溢れてきた。感謝してもしきれない。
 リボンをほどき、挟まれていた手紙を取り出す。そこには、丸く柔らかい文字で一言。

『あなたは私の初恋です。』

 と、それだけ書かれていた。裏返してみたり、透かしてみたり、包みを剥がして中身を取り出して隅々まで見たけれど、どこにも差出人は書かれていなかった。
 ……シャイなのだろうか。気にはなるものの、とにかく今はこのありがたいチョコレートを味わいたい。俺は上品な見た目のチョコレートを口に放り込んだ。
 美味い。カカオの苦みが強く、甘いものが苦手な俺にぴったりの味だ。二つ、三つとリズミカルに食べていれば、あっという間になくなってしまった。もぐもぐと最後の一粒を咀嚼しながら、もう一度手紙を眺めた。
 初恋。初恋ね。高校生になって初恋とは、恋愛に不慣れなのだろう。自分の名前すら書かないなんて、随分とまあ奥手なようだ。そういえばこの送り主は、俺が甘いものが苦手だということを知っていたのだろうか。そんな話、誰かにした記憶はないのだが。
 ……あれ。なにかが引っかかったが、その正体を掴むことができずに、首を傾げた。

ゆきこFiache.編集部

Fiache.編集部。冬生まれで好きなひらがなは「ゆ」。趣味は読書、ゲームなど。三度の飯より寝ることが好きで、隙あらば寝ている。もはや睡眠が趣味といっても過言ではない。

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