8月になりました。
長く肌寒い雨から一転、暑い夏になりましたね。
私はこの夏に備えていろんなアイスを買いました。
わたしのお気に入りはスイカバーです。みなさんのおすすめのアイスはなんですか?
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今回から、シリーズのページができました😊
第一章と第二章も▽▽のリンクから読めるので、ぜひ読んでもらえたら嬉しいです。
第三章:人間はサトリじゃない!-知ってもらおうキャンペーン-
今日のお話はちょっとだけ自分を好きになれるかもしれないシリーズの第三章、人間はサトリじゃない!-知ってもらおうキャンペーン-です。
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今日の本題に行く前に、わたしの昔の話を聞いてください。
私は学生の頃、とあるコミュニティに所属していました。
当時、恋人がいなかった私は、所属していたコミュニティ内でいじられることがありました。(いじめられていたわけではないですよ!!!)
そのコミュニティ内では、恋人がいることがちょっとしたステータスで、いない人はいないことを自虐ネタにすることが風潮になっていたのです。
わたしもノリが悪いと思われたくて、自虐ネタを口にしていましたが、内心ではもやもやすることがありました。
付き合った人数や恋人の有無がステータスになるということがしっくりこず、恋人がいないことで自虐をする、ということもよくわかりませんでした。なんとなくもやもやが続く感じです。
最初は「学生はそういうもんなんだ!」と思い、必死に自虐ネタを口にし、ノリが悪いと思われないようにふるまっていましたが、だんだんと苦しくなってきて愚痴をこぼすようになりました。
「嫌なのにどうして察してくれないんだろう?」「恋人がいる人の方が偉いのかな?」「なんでマウントとられなきゃいけないの?」「あの人たち全然わかってくれない!」「あの人たちきっと私のことを馬鹿にしているんだ!」「もういや!嫌い!」
と愚痴や悪口がエスカレート。
でもそれらは次第に自分の心を蝕んでいきました。
「あんなこと言わなければよかった」「本人に伝わって嫌な思いをさせてしまったらどうしよう」「悪口をいうなんて自分はなんて心の狭い人間だろう」
からかわれる→怒る→愚痴る→自己嫌悪→からかわれる→怒る…
もうここからは無限ループです。
こんな経験はみなさんにもあるのではないでしょうか。
◇
そんなことが続いたある日、とある友人と話していたときのことです。
いつものように「聞いてよ~こんなことがあってさ~」と愚痴をこぼし始めました。
それを「うん、うん。」と聞いていた友人が、聞き終わった後にこう言いました。
「ううん、言いにくいから言葉では言ってないよ。でもこういうのって相手が嫌そうな顔してたら察するじゃん普通」
「でも、私は言葉で伝えてくれないとイオリが何考えてるかわからないよ。」
「え?長い付き合いなのに?」
「うん。」
わたしにはかなり衝撃的なやり取りでした。
たしかに、思い返してみると、「察してほしい」と思っていた私は、嫌だなあというオーラを出すだけ(本当に出ていたのかも怪しいですが💦)で“言葉”で「嫌だ」と伝えたことはなかったのです。
◇
友人との会話のあと、コミュニティの人たちに対して、「普通これくらい察するでしょう?」「これくらいわかるよね?」と思ってしまっていたことに気が付きました。
私が「察するべき!」と決めつけた上に、それを察してくれないと「なんで察してくれないの!?」と怒ってその人の愚痴を言う。
自分の考えを伝えようとせず、相手が何を思っているかもわからないまま、「察してくれないなんてありえない!」と勝手に決めつけて怒るなんて、相手に対してものすごく失礼な考え方だと思います。わたしは自分が恥ずかしく感じました。
そもそも人間はサトリ*ではありません。
人の考えていることはわからなくて当然です。むしろわからない方が自然なんです。
だからこそ、コミュニケーションをとるのです。
*サトリ=人の心を見透かす妖怪
「察する」「察してもらう」をやめる
さて、ここから本題です。
人間は他人の考えていることやこころをすべて察知することはできません。
人の考え方や感じ方はそれぞれです。
そしてそのばらばらな考えや感じ方を伝え合うために大切なのは”コミュニケーション”です。
繰り返しになってしまいますが、人間はサトリではありません。なので、考えていることを伝えるためには、「察する」「察してもらう」をやめる必要があるとわたしは考えます。
日本では「察する」ことこそが美学ととらえられていますが、「察することができない」ことを責めたり、責められたりするのは違うと思っています。(これは私の個人的な考えですが!)
とはいっても、「言いたいことなんか言えない!」「自分の気持ちを伝えるのが苦手」な人は多いと思います。
もちろん私もその一人です。自分の思いを伝えないまま悪口を言うのは相手に失礼だなあと思いつつも、「言いたいことを言ったら、怒られるかもしれない」とか「これを言ったら嫌われるかもしれない」とか思ってしまってなかなか前に進めません。
なので、まずは一歩踏み出すよりも手前、その場で足踏みをすることから始めてみることにしました。
①自分がどういう人間かを知る練習
ここからはわたしが実際にやったことをご紹介します。
まずは、自分の思っていることを相手に伝えるよりももっと前、自分を知るところから始めます。
わたしの場合はこころの声を閉じ込めてしまうことが多いので、こころの声にも耳を傾けるようにします。
↓
からかわれる理由がわからなかったが、ノリが悪いと思われたくなくて自虐する
↓
愚痴る
これを分解して考えます。
【なぜ恋人がいないとからかわれるのかわからない、嫌な気持ち、からかわれたくない】
↓
からかわれる理由がわからなかったが、ノリが悪いと思われたくなくて自虐する
【ノリが悪いと嫌われてしまうかもしれない、怖い→嫌な気持ちのまま自虐をする】
↓
愚痴る、悪口を言う
【一連の流れに納得がいっていない、辛く悲しいと感じる、相手のせいにする】
わたしという人間は、
①理解できないことでからかわれると嫌な気持ちになる
②周りの空気に合わせられず、嫌われてしまうことを恐れている
③↑のような状況になると、辛いく悲しいと感じ、相手のせいにしたりする(でも本人には言わない)
という特性があるようです。
こんな風に、どんなことが起こると自分はどう思うかを知っていくだけでも、「ああ、わたしってこういう人間なのね。」と少し落ち着くことができます。
第一章でご紹介した「自分を知ろうキャンペーン」も自分のことを知るのにおすすめなので、もしよろしければそちらも読んでみてくださいね😊
②自分のことを伝える練習
次はいよいよ相手に自分が何を考えているか、どういう人間なのかを伝える練習です!
ここで大切なのは、
①否定せず、受け止めてくれる人と練習すること(私は母や幼馴染の友人とやりました!)
②感情的にならないこと
③感情を相手のせいにしないこと
の三つです。
やることはシンプル。
自分を知る練習で知った、わたしってこういう人間なの!を話すだけ。
聞く側の人には、「そうなんだね」と聞いてもらうようにしてください。(わたしは事前に、「何か思うことがあるかもしれないけれど、それを否定せずに、そういう風に考えるんだなあ、って思って!」とお願いしておきました。)
前の話を例に出しますね。
こんな感じです。
聞く側の人にも、「そうだったんだね、それはつらかったね。」のように落ち着いて聞いてもらいます。
※共感できるところは共感してもらった方が楽になります。
わたしが実際にやったときは、月星座診断やHSP診断の結果を「〇〇座はこんな特性があって、わたしは特に〇〇な部分が当てはまっているんだ。」と話すようにしていました。
普通に雑談する時も、わたしはこう思ってこう感じたよ!をできるだけ口に出すように今でも心がけています。
一朝一夕でできるようになるものではないので、できるときにときにやってみるを意識するのがおすすめです。
できなくても自分を責めないでくださいね😊
わたしの個人的な感覚ですが、これを意識することによって、前よりも自分の思いを周りの人に話せるようになりました。
ほんのちょびっとですが、前進です💪
お互いの気持ちは伝えないとわからないから「察する」「察してもらう」をできるだけやめるぞ!と、思うだけでも、変わってくるかもしれません。わたしは当時、「わたしも相手も妖怪じゃない!!!人間だ!!!(人間なんだから伝え合わないとわからないぞ~)」を毎日こころの中でつぶやいていました笑
おわりに
人が考えたり思ったりしていることは、わたしにはわかりません。
同じようにわたしが考えたり思ったりしていることは、人にはわからないのです。
人よりも「察する」能力が高い人もいます。でも、実は、その「察した」ことも自分の主観が勝手に想像したことなのです。
今までより、少しでも楽に生きられるように、必要のないネガティブな感情をため込まないように、自分のことを知り、伝えるところから始めてみるのはいかがでしょうか。
*おまけ*
石井ゆかり先生の占いは優しくておすすめです。
占いは自分を知るいいきっかけになりますよ😊
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次回は9月更新です。
「【コラム】ちょっとだけ自分を好きになれるかもしれない話~キーワードは自己肯定感~|第四章」では、「客観は誰かの主観」についてお話したいと思います。
こんにちは。Fiache.編集部のイオリです。
「自己肯定感」をキーワードにしたお話、第三章です。
この世は生きにくいと感じているあなたへ。