Fiache. Short Story
― なんでもない日の物語 ―

低空飛行

「お前、ギターなんか弾けたん」
 ぽかぽかと暖かな日差しが降り注ぐ昼下がり。他人のベッドを我が物顔で占領しているそいつは、俺の問いかけに対して返事の代わりにふふん、とご機嫌に鼻を鳴らした。つるりとした光沢を放つアコースティックギター。汚れらしい汚れもなく、よほど丁寧に扱っているのか、それともまだ買って間もないのか。おそらく後者だろうが、なぜかそいつはどや顔でギターを構えている。正直似合ってないぞと言いたいが、そう言うとこいつは拗ねるので大人しく口を閉ざしておく。
「かっけーだろ、これ。駅前で見かけてさあ、一目ぼれしちゃった」
「お前、ギターなんて弾けるん?」
「そう思うだろ? まあ黙って聴け」
 こほん、わざとらしい咳払いを一つして、そっと目を伏せた。空気がぴんと張り詰め、思わず背筋を伸ばし息をのんだ。筋張った指で弦を押さえる。右手がたん、たん、たん、とリズムを刻み、大きく振れた、瞬間。
きゅぃ~~ん。きゅわん。きゅきゅきゅ。
 およそアコースティックギターの音とは思えない間の抜けた音が響き渡り、たっぷり三分。俺は呆然と口を開けて、ただただその演奏に耳を傾けていた。
 じゃららん!と最後にようやくそれっぽい音を出して鷹揚にお辞儀をする。あまりに堂々としたその雰囲気につられてパチパチと拍手をすると、そいつは目をキラキラ輝かせて鼻息荒く顔をずいと近寄せてきた。
「どうだった??」
「下手くそにもほどがある」
 取り繕う間もなく脊髄反射で飛び出た言葉に、一瞬の静寂。見つめあったまま二人して固まって、次の瞬間には吹き出して笑いあった。
「ひっでー! そんなはっきり言わなくてもいいじゃん!」
「いやだってお前下手くそ以外に言うことある? なんであんな自信満々だったんだよ」
「いけるかなって」
「……もしかして初めて弾いた?」
「うん」
 なんでだよ。馬鹿馬鹿しくて天を仰ぐ。俺が長い溜息を吐くと、そいつはにやりと口角を歪ませて俺の両肩を掴んだ。真っ直ぐ俺の目の見据える表情に嫌な予感が募る。これは絶対ろくなことじゃない。
「そんなことよりさぁ、お前歌えるよな?」
「ん?」
「俺がギターでお前がボーカルな」
「なに?」
「バンドやろうぜ!」
「なんて???」
 俺の話を聞いてなかったのか? 今の流れでどうしてそうなる。こいつの突拍子のない行動には随分慣れたと思ったが、まだ甘かったらしい。ギターを構えたまま飛び跳ねるようにベッドの上に立ち上がる。ギシ、とスプリングが嫌な音を立てるが全く気にしていない様子で、どこぞの教祖様よろしく朗々とした声で演説を始めた。
「このギターを目にしたとき、俺は思った……。これは天啓だと! 俺にこれで天下を取れというお告げなのだと!」
 力強く拳を天に突き上げるそいつに開いた口が塞がらない。なんの曲を弾いているのかもわからないような演奏をかましていたというのに、その自信は本当にどこからくるのだろう。どう考えても無茶で無謀な夢物語だ。自分のレベルを考えてからものを言えとか、天啓なんて意味わかんねえ事言ってんじゃねえぞとか、そもそも2人だけなのにそれってバンドと言えるのかとか、言いたいことはたくさんあった。それなのに、
「お前とならやれるって思ったんだ」
 なんて、迷いのない綺麗な瞳で見つめられれば、俺の中に眠っていたかつての熱い想いがもぞもぞと這い出てきてしまう。
 無茶だ無謀だありえないと否定され、心の奥底にしまいこんでしまった夢。
 俺は歌うのが好きだった。それをこいつに言ったことはなかったはずだから、たぶんこの言葉に深い意味は無いだろう。ただ、だからこそ。だからこそ、どこまでも純粋で透明な言葉に強く強く揺り動かされてしまった。
 呆然と見上げたまま動かなくなった俺をどう思ったのか、あいつはぴょんとベッドから飛び降りて俺の顔の前でぱん、と手を鳴らした。
「やるよな? バンド」
 断られる可能性など、こいつの頭にはないのだろう。いつだって自信に満ちていて、どんなことにも物怖じせずに飛び込んでいくこいつが俺には眩しすぎて、羨ましかった。
「そうと決まれば、まずは路上ライブからな!」
「馬鹿か?」
「行くぞ!」
「人の話を聞け」
 言い終わる前に部屋を飛び出し、家を飛び出したあいつを追いかけていく。靴を履くのもそこそこにドアを開けると、抜けるような青空を背に笑うあいつの姿があって。
 その景色を俺は、生涯忘れることはないだろう。

ゆきこFiache.編集部

Fiache.編集部。冬生まれで好きなひらがなは「ゆ」。趣味は読書、ゲームなど。三度の飯より寝ることが好きで、隙あらば寝ている。もはや睡眠が趣味といっても過言ではない。

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