9月になりました。
これを書いている日は雨が降ったりやんだり、せわしない気候です。
こういう日はそわそわしたり、気分がずーん😢としてしまう方が多いのではないでしょうか。
美味しいもの食べて、ゆっくりしましょうね。
自分の落ち着く何か(食べ物でも音楽でも香りでも!なんでも!)がある方は、それとともにリラックスしてください。
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「ちょっとだけ自分を好きになれるかもしれないシリーズ」😊
▽▽のリンクから読めるので、ぜひ読んでもらえたら嬉しいです。
第四章:客観は誰かの主観
このコラムは、ちょっとだけ自分を好きになれるかもしれないシリーズの第四章、客観は誰かの主観です。
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「客観」という言葉は、誰もが聞いたことがある言葉だと思います。
よく言いますよね。「客観的に物事を見よう!」とか「客観的に見て、意見をください!」とか。
大人になればなるほど聞く機会が増えるこの「客観」という言葉。
今日はそんな「客観」にまつわるお話をしようかな、と思います。
この言葉に苦しんでいる方、違和感を持っている方に届いたら嬉しいです😊
「客観的」な視点に苦しむ
さて、ここからお話を進めるにあたって、「客観的」を定義しておこうと思います。
【客観的】形動
1 主観または主体を離れて独立に存在するさま。⇔主観的。
2 特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま。「客観的な意見」「客観的に描写する」⇔主観的。
goo辞書
つまり、各個人の主観ではなく、第三者目線で物事をとらえるさまということですね。
みんながみんな物事を主観的にとらえ、それを主張し続けてしまうと、物事が進まなくなってしまいます。
この「客観的」に物事を捉えて考えることは、人間生活を営む上でとても大切なことです。
しかし、この「客観的」に考える、ということは、自分を苦しめてしまう原因にもなりうるのです。
◇
わたしは特にこの言葉にとらわれ、長いこと苦しみました。
主に二つのことが原因です。
①「客観的」に物事を考えて意見することは、時に自分の主観を我慢しなければならない
②「客観的に見て」をつけて否定をされると、自分が他人よりも劣っているように感じる
①に関しては、自分が納得ができていれば問題ないです。
しかし、②はとても厄介です。一回でも②のようなことが起こると自己肯定感がごりごりと下がってしまいます。実際に私が過去に経験したお話をさせてください。
◇
私は学生の頃、演劇部に所属していました。演劇部にも大会のようなものがあり、年に一回くるその大会に向けて一生懸命部活に励んでいました。
そして、当日。結果は予選落ちでした。すごく悔しくて悲しかったことを覚えています。しかし、その悔しさ悲しさよりも強烈に残っている記憶があります。それは審査員の講評です。
「頑張っていたとは思うが、客観的に見て演技力が足りないと言わざるを得ない」
心を握りつぶされたような感覚でした。
この時私は、自分は普通よりもはるかに劣っているのだと強く思いました。だって、客観的₌関係のない第三者からみて演技力が足りないと言われたのだから。自分は向いていないのかもしれないとひどく落ち込みました。
◇
当時のことはかなり鮮明に覚えています。
ただ、「わたしは君の演技力が足りないと思う」と言われただけなら、まだこの人はそう思ったんだなあとダメージを減らすことができるのですが、「客観的に見て、演技力が足りないと思う」と言われてしまうと、関係のない大多数が見てもそう思うのかもしれないというマインドになってしまいます。
自分がすごく劣っていて、ダメな人間のように感じてしまったのです。
「客観」に対しての違和感
実は先ほどの演劇部での話には続きがあります。
大会が終わって数か月後、私たちの学校はプロが所属する演劇団体と一緒にお芝居をすることになりました。
プロの方にご指導いただき一緒にお芝居ができるなんて夢のようで、ドキドキわくわくしながら参加しました。
緊張しながらも楽しく、充実した日々を送っていましたが、私の胸の奥にはずっとあの「頑張っていたとは思うが、客観的に見て演技力が足りないと言わざるを得ない」という審査員の言葉がひっかかっていたのです。
ある日の稽古終わりに、私はお世話になっていた役者さんに相談することにしました。
「そうだったんだ。少なくとも私はそうは思わなかったけどね。初めて見たときもそうは思わなかったよ。」
「本当ですか?」
「本当だよ。それに、その審査員の言っていることは私にはよくわからないな。」
「どういうことですか?」
「だって、何を基準に演技力を測っていたのか言われていないでしょう?それに、「客観的」といったようだけど、どんなデータに基づいて言ったのかもわからないし・・・。私にはその人の主観のように聞こえる。」
なるほど、と思いました。
たしかに思い返してみるとその審査員の講評は具体性がなく、審査基準もあいまいでした。
こうして考えていくうちに、私の中で「客観」ってなんだ?という疑問がわいてきたのです。
「客観」ってなんなんだ?
このような事柄を経て、わたしはこう思うようになりました。
「客観」は誰かの主観である
※データがある場合は除く
です!
例えば誰かから「客観的に考えておかしいよ!」と言われた場合を考えて分解してみます。
A「客観的に考えておかしいよ!」
この言い方はあたかも自分の主張ではなく、関係のない第三者からみても変である、のように受け取れます。
では、これを言い換えてみましょう。
↓↓↓
A「私と関係のない第三者が考えておかしいよ!」
はい、このようになりました。そもそも、Aちゃんと私の会話の中にいきなり出てくる第三者って誰やねーん!って感じですね笑
ここでこの発言を肯定するリサーチ結果や統計結果がある場合は話が変わってきますが、今回は普通の会話中をイメージしているのでそのままいきます。
そしてさらに言い換えてみるとこのようになります。
↓↓↓
A「私が想像した私と関係のない第三者が考えておかしいよ!」
こうです。データがない場合の「客観的に考えて」はかなりの確率でこのパターンです。このAさんが生きてきた中で想像しうる第三者を引き合いに出して「客観的に考えておかしいよ!」と発言しているのです。
これって実質、主観じゃない?🤔
◇
実際に第三者がいた場合でも考えてみます。
私と、Aちゃんと、Bちゃんがいたとして三人で一つのケーキを決めるとします。今一番人気のケーキを選びます。
A「え!私はショートケーキだと思う!!!」
私「Bちゃん、客観的に見てどう思う?」
B「そうだなあ、テレビやニュースで話題になっていたから、ショートケーキかなあ?」
この場合、たしかにBちゃんの視点は客観的視点になると思います。しかし、これもよくよく考えてみると、
Bちゃんが生きてきて得た情報をもとにした主観と捉えることはできないでしょうか。
さらに、ここで統計結果があったとします。
「20代~40代の東京在住の男女1000万人に聞いた!好きなケーキランキング」が手元にあったとして、そのケーキランキングの1位がショートケーキだったとします。そうしたら、今一番人気のケーキはショートケーキになります。
この場合は、私、Aちゃん、Bちゃんの主観が介入していないデータなので、完全に客観的な視点といえるでしょう。
たしかに人気のケーキはショートケーキには間違いありません。
しかし、これも、
20代~40代の東京在住の男女1000万人
が
主観
で、選んだ結果の総数なのです。
つまり、このランキングは私たちが知らないだれかの主観でできているもの、ということになります。
もう漠然とした「客観」におびえなくていい
ここからが私が本当にお伝えしたいことです。
前半でお話した、「客観」を意識するあまりに苦しくなってしまう現象ですが、このように考えると必要以上に凹む必要がなくなります。
「客観」は誰かの主観。そして、わたしにもあなたにも知らないだれかにも主観はある。
この誰かの主観である、という感覚をもつことで、「客観」という漠然とした不安だったものに、形を与えることができます。
客観的に見て違う、と言われても、落ち込む必要はないんです。だって、その客観的に見ての「客観」はおそらく主観だから。
自分はマイノリティな考え方なのかもしれない、と思わなくても大丈夫です。ただ、その人と考え方が違っただけだから。
よく、他人の評価は気にするな、なんて言ったりしますが、その本質はこの「客観」や「主観」にあるのではないでしょうか。
自分に厳しいタイプの人だと、自分に対しても「客観的にみて自分の行動は間違っているのではないだろうか?」なんて考えたりしますが、それも実は自分の中にいる客観的な視点からの思考です。つまり、どこまでいっても”自分”なのです。
他人の考えは他人の考えだし、第三者の考えは第三者の考えなのです。
※この考え方はあくまでも「客観」というものに苦しんでいるときにたどり着いたものなので、自分の主観を押し付けていい!というわけではありません。周りの人とお互いに理解し合いながら生きていくことが大切です。
おわりに
昔から周りと好きなものだったり考え方だったりが違うことが多かった私は、「客観的」に見て変、とか「客観的」にみておかしい、と言われることが多かったです。
そして、自分でも、そんな自分はダメなんだ、「客観的」にみて普通にならなきゃ!と自分自身にもプレッシャーを与えてしまう性格でした。
しかし、このコラムにかいたような発見をしてから、少しだけ楽になり、自分の好きなものや考え方を受け入れられるようになってきました。
同じように感じている方や悩んでいる方の力になれれば嬉しいです。
*おまけ*
ゆるーい絵柄と哲学的な内容が心にしみる、「ぼのぼの」を読んでみるのはいかがでしょうか?
わたしはマンガもアニメも両方好きで、定期的に見直しています。
登場人物が何気なくつぶやく一言が、考えさせられる内容だったり、くすっと笑えるような描写があったりと心に寄り添ってくれる作品です。
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次回は10月更新です。
「【コラム】ちょっとだけ自分を好きになれるかもしれない話~キーワードは自己肯定感~|第五章」では、「自分が本当にしたいことってなんだっけ?を思い出す」についてお話したいと思います。
こんにちは。Fiache.編集部のイオリです。
「自己肯定感」をキーワードにしたお話、第四章です。
この世は生きにくいと感じているあなたへ。